ユニフォーム物語

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1990年代~2000年代 2007年~2011年
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(左)安藤優也(右)金本知憲
(左)安藤優也
(右)金本知憲
ビジター
(左)赤星憲広(右)藤川球児
(左)赤星憲広
(右)藤川球児

2007年にモデルチェンジした阪神タイガースのユニフォームにつけられた背番号の形を見て、遠く60年代のタイガースに対するオマージュを感じたオールドファンは多かったのではないかと思う。

まずはその時代から話をしよう。

60年代の阪神タイガースはしたたかで粘り強いチームだった。特に藤本定義監督が率いた時期の粘り腰は半端ではなかった。

そもそも藤本監督は戦前の東京巨人軍三代目の監督で、当時の大阪タイガースと激戦を繰り返し、阪神、巨人の伝統の一戦の礎を築いた敵将であった。そしてその巨人軍で三原脩、水原茂、川上哲治、千葉茂といった60年代に他球団で指揮をとっていた監督たちを育て上げた人でもある。

そんな藤本監督の下でタイガースは62年、64年と二度のリーグ優勝を飾る。

この二度の優勝に立ちふさがったのが、三原脩監督率いる大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)だった。

三原監督は47年に巨人軍の監督に就任したが、49年にチームを戦後初の優勝に導いたにもかかわらず、球団内部のゴタゴタから総監督に棚上げされ、指揮権は新たに就任した水原茂監督へ移されてしまった。

そのため51年には都落ちするように遠く福岡の西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の監督に就任する。50年のセ・パ2リーグ分立と、それにつづく球団合併よって誕生したライオンズは、プロとは名ばかりの実業団に毛の生えたようなチームだった。三原監督は自ら選手をスカウトし、プロとしてのノウハウを叩き込み、チームを育て上げていく。そして野武士軍団と呼ばれる強豪チームが完成する。

野武士軍団ライオンズは56年、57年、58年と三年連続でリーグ優勝を果たす。日本シリーズでも水原監督率いる読売巨人軍を三年連続で撃破。当時としては初の三連覇を果たす。これは巨人軍監督の座を奪われたライバルに対する徹底したリベンジであった。

ひとつの仕事を成し遂げた三原監督が、次に仕事場として選んだのが、セ・リーグの万年最下位チーム、大洋ホエールズだ。なんと驚くことに、60年に監督に就任すると、間を置かずそのまま最下位チームを巧みな選手起用でリーグ優勝させ、さらには日本シリーズも制覇する。世間は驚愕し、三原監督を魔術師という称号で呼ぶようになった。

この三原魔術に対抗する形で61年に阪神タイガースが招聘したのが、三原監督の師である藤本監督である。

62年、タイガースは村山実、小山正明両投手が活躍し、巨人に対し前半で10勝2敗と勝ち越した。そして7月末には8連勝で首位にたつ。しかしそれに立ち向かってきたがホエールズだった。三原監督によってメガトン打線と呼ばれる強力打線を擁するチームに育っていたホエールズは、9月に入って首位をタイガースから奪い取った。

だが、あと1勝すれば優勝の巨人3連戦で3連敗。逆にタイガースは国鉄スワローズを3タテし、最終戦の広島カープ戦にも勝って再逆転優勝を果たした。

63年は両チームとも一休みだったが、64年、再び優勝争いを繰り広げることになる。

この年、首位を走ったのはホエールズだった。ほとんど独走かと思われたが、後半戦に入って連敗が続き、タイガースが追い上げて8月後半から首位が激しく入れ替わる展開となった。メガトン打線のホエールズに対して、タイガースは東京オリオンズへ移籍した小山投手に代わってG・バッキー投手が頭角を現し、村山投手との二枚看板となって大活躍。最後までもつれる展開となった。ホエールズにとって最後に残されたのは、タイガースとの2連戦。ここで1勝すれば優勝だったが、タイガースはこれを2連勝で撃破。そしてあとはタイガースに3試合が残された。1敗でもホエールズの優勝。しかしタイガースは負けなかった。スワローズに勝ち、中日ドラゴンズに2連勝してマジック1のホエールズをねじ伏せたのである。

2回ともあと1勝の土俵際での競り勝ちだった。本当に強いチームというのは、こういうチームのことを言うのではないかと思う。

85年のような爆発的なパワーはないが、プレッシャーの中で淡々と勝ちを拾っていく。野球チームの本来の強さは長期のリーグ戦でないと分からないとよく言われる。その点で考えると、二度も土俵際で三原魔術を下した藤本監督が率いたタイガースこそ、本当に強いチームの称号にふさわしい。

ただ、短期決戦には弱かった。日本シリーズでは勝てなかったのだ。

しかしこれはペナントレースですべてを燃えつくしてしまった結果だったと思う。

この時代のタイガースのビジター用ユニフォームの背番号に使われていたのが、ローマンボルドー風の独特の明朝体書体だった。この書体を強いタイガースのイメージの一部として憶えているオールドファンは多い。

07年に採用されたユニフォームには、この書体からイメージしたバーナードコンデンセードというフォントが採用されている。

金本知憲選手には「6の数字がおたまじゃくしみたいだ」と不評だったが、これはデザインサイドが球団の歴史に目配せした上での採用だった。

タイガースは日本の球団の中では最も伝統的スタイルをキープしている球団である。創設以来基本的な形の変わらない胸レターのついた縦縞のユニフォーム。しかし21世紀に入ってからの新ユニフォームには、これをなんとか現代風にしたいという試行錯誤が繰り返されている。

07年登場のホーム用には交流戦用の復刻ユニフォームで評判のよかった黄色を81年以来で復活させ、袖の下からサイドにかけて現代風に黒い帯を入れた。タイガースは70年代に輝流ラインと呼ばれるギザギザラインを採用したりしているので、この程度の現代化は許容範囲だろうか……。

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