- 岡田彰布監督退団会見
- 8年10月22日 更新
阪神タイガースは21日、阪神電鉄本社(大阪市)において、岡田彰布監督の退団会見をおこないました。坂井オーナーへのシーズン終了の報告を終えた後、坂井オーナーとともに会見に臨んだ岡田監督は、1番の思い出を「2軍から一緒にやってきて、1軍で一緒に優勝争いができる選手たちがいっぱいいてくれたことがうれしい」と挙げ、また「2軍の時からたくさん応援に来てくれて、選手たちに勝つ喜びを実現する気持ちを与えてくれた」とファンへの感謝の気持ちを述べました。
■岡田監督のコメント(会見より)
1軍監督として5年、オリックスから戻り、指導者としてのユニホーム生活11年間、今いてる選手の入団当初から一緒にやりました。5年前、監督に就任した時に言いました、経験を生かして常勝タイガースを築きあげる。そういう意味では100%成し遂げたとは言えないが、この2、3年間は9月・10月まで優勝争いできるようなチームにはなってきたかなと考えております。ただ優勝できなかったということは足りないものがあったのかなと。そういう意味でも総決算含めて、ユニホームを脱ぐ決心をしました。1軍監督含めて、ファンの皆さんにもすごく応援してもらい、2軍の時も毎日鳴尾浜に来てくれるファンもたくさんいて、勝つ喜びというか、選手もそれを1軍で実現しようという気になった。
―選手へ辞意を伝えたのは?
10月11日、球場にバスが着いてからのロッカーで。みんな普通に聞いてました。クライマックス残ってるんで、最善のお手伝いはする、と選手には言いました。
―11年間で1番印象に残っていることは?
1軍に上がってからは勝ち負けだけの勝負で選手をじっくり見る機会もあまりなかったが、タイガースへ戻ってきて2軍の時に、濱中や関本がちょうど一緒に入って、1年後に井川が、翌年、藤川が入ってきて、いずれ1軍でやろうという自分の中にはそういう気持ちがあったし、選手もそういう選手が入ってくれた。それで今もこうして活躍してくれてる。5年間より前の2軍からの印象というか、監督として選手と2軍から一緒にやって優勝争いできる選手がいっぱいいてくれたことがうれしい。
―5年間の監督生活は?
長いとも思わなかったし、よく5年やったなと思う。充実した5年だったし、選手にも勝たないといけない、そういういいペナントレースを経験さしてあげれたかなと。
―今後については?
想像つかないですが、何らかの形で野球には携わっていくと思うし、野球もキャンプとか始まればまた(心境も)変わるかもしれない。ちょっとゆっくりします。
―昨夜のファンの声援について
昨日は、試合後知らなくて、靴も脱いで監督室に入ってたが、赤星が呼びに来てくれて。もうええ、ええと言っていたがああいう形で。チームにあいさつしてケジメつけたと思ってたが、もう一度グラウンドであの声援を聞いた時はうれしかった。
―あの涙は?
悔し涙です。勝ちたいというか、それはもう勝ちたいというのは周りは当然勝てると思ってるし、ファンの人も勝てると思ってる。その中でチームの監督としては勝たなきゃいけないと、そういうすべてがつまった悔し涙ですね。
■坂井オーナーのコメント(会見より)
岡田監督の手腕を信頼しておりましたので、来年も日本一をめざしてチャレンジするという強い気持ちを持っておりましたが、退任の意志はきわめて強く、残念ですが辞任を受け入れることとしました。5年間、終盤まで優勝争いをするという常勝タイガースづくりをしてくれました。心から感謝しております。本当に岡田監督の手腕については個人としても評価しておりますし、選手の気持ちが分かるというか、選手のコメントを聞いても、「岡田監督に特性を生かしてもらった」といったコメントがあるように、卓越したものがあると感じております。
岡田監督1人の責任ではないので、本来なら私もともに責任をとる必要がありますが、来年常勝タイガースを確固たるものにするため、私としては来年も一生懸命務めさせていただき、電鉄から頂いております報酬から3ヶ月20%を返還するというかたちで責任をとらせていただきます。結果としてリーグ逆転を許し、ファンの皆さまには心からお詫び申し上げます。
来季に向けてはフロント・スタッフ含め、今シーズンの反省というか、足りなかったところ、届かなかったところ含めて、来季にそれを補っていくことを検討していきたい。全面的に支援していくというか、戦う集団のフロントとして、一緒に戦っていこうと思います。
■岡田監督のコメント(会見より)
1軍監督として5年、オリックスから戻り、指導者としてのユニホーム生活11年間、今いてる選手の入団当初から一緒にやりました。5年前、監督に就任した時に言いました、経験を生かして常勝タイガースを築きあげる。そういう意味では100%成し遂げたとは言えないが、この2、3年間は9月・10月まで優勝争いできるようなチームにはなってきたかなと考えております。ただ優勝できなかったということは足りないものがあったのかなと。そういう意味でも総決算含めて、ユニホームを脱ぐ決心をしました。1軍監督含めて、ファンの皆さんにもすごく応援してもらい、2軍の時も毎日鳴尾浜に来てくれるファンもたくさんいて、勝つ喜びというか、選手もそれを1軍で実現しようという気になった。
―初めて辞意が頭をよぎったのはいつか?
9月5日、広島での負けた試合。ゲーム差とかそういう数字の問題やなしに、残りのシーズン1ヶ月、こらちょっとやばい、そういう気持ちになりました。チームを預かってるもんはチームを一番分かりますから。あの時は巨人の追い上げや、2位との差とかは考えてなかった。チームもあまり勢いのつく試合ができていない。そういうゲームが続いてそれが5日くらいに「もう一度ひきしめないと、きっかけというか勢いつくゲームができない」と。これでもし優勝できなかったら何らかの責任を取らないといけないと思った。選手もピッチャーがなんぼ頑張っても打線の勢いがなくて。甲子園帰ってきてヤクルトに3連続サヨナラをしたが、苦しいサヨナラで、勢いつくサヨナラじゃなかったんで。今思えばあのぐらいできっかけが欲しかったなと。
―選手へ辞意を伝えたのは?
10月11日、球場にバスが着いてからのロッカーで。みんな普通に聞いてました。クライマックス残ってるんで、最善のお手伝いはする、と選手には言いました。
―11年間で1番印象に残っていることは?
1軍に上がってからは勝ち負けだけの勝負で選手をじっくり見る機会もあまりなかったが、タイガースへ戻ってきて2軍の時に、濱中や関本がちょうど一緒に入って、1年後に井川が、翌年、藤川が入ってきて、いずれ1軍でやろうという自分の中にはそういう気持ちがあったし、選手もそういう選手が入ってくれた。それで今もこうして活躍してくれてる。5年間より前の2軍からの印象というか、監督として選手と2軍から一緒にやって優勝争いできる選手がいっぱいいてくれたことがうれしい。
―5年間の監督生活は?
長いとも思わなかったし、よく5年やったなと思う。充実した5年だったし、選手にも勝たないといけない、そういういいペナントレースを経験さしてあげれたかなと。
―今後については?
想像つかないですが、何らかの形で野球には携わっていくと思うし、野球もキャンプとか始まればまた(心境も)変わるかもしれない。ちょっとゆっくりします。
―昨夜のファンの声援について
昨日は、試合後知らなくて、靴も脱いで監督室に入ってたが、赤星が呼びに来てくれて。もうええ、ええと言っていたがああいう形で。チームにあいさつしてケジメつけたと思ってたが、もう一度グラウンドであの声援を聞いた時はうれしかった。
―あの涙は?
悔し涙です。勝ちたいというか、それはもう勝ちたいというのは周りは当然勝てると思ってるし、ファンの人も勝てると思ってる。その中でチームの監督としては勝たなきゃいけないと、そういうすべてがつまった悔し涙ですね。
―チームに残したものは?
自分では分からないが1軍監督という中では最初、前年('03)優勝だったが2004年ですか、これはもうとにかくチームを変えないと、と。若い力をね。いいも悪いも5年やるといろいろありましたが、来年以降もタイガースには優勝争いして、少し足りないもんは加えて、上にいける、そういうチームづくりができたかなと思います。
■坂井オーナーのコメント(会見より)
岡田監督の手腕を信頼しておりましたので、来年も日本一をめざしてチャレンジするという強い気持ちを持っておりましたが、退任の意志はきわめて強く、残念ですが辞任を受け入れることとしました。5年間、終盤まで優勝争いをするという常勝タイガースづくりをしてくれました。心から感謝しております。本当に岡田監督の手腕については個人としても評価しておりますし、選手の気持ちが分かるというか、選手のコメントを聞いても、「岡田監督に特性を生かしてもらった」といったコメントがあるように、卓越したものがあると感じております。
岡田監督1人の責任ではないので、本来なら私もともに責任をとる必要がありますが、来年常勝タイガースを確固たるものにするため、私としては来年も一生懸命務めさせていただき、電鉄から頂いております報酬から3ヶ月20%を返還するというかたちで責任をとらせていただきます。結果としてリーグ逆転を許し、ファンの皆さまには心からお詫び申し上げます。
来季に向けてはフロント・スタッフ含め、今シーズンの反省というか、足りなかったところ、届かなかったところ含めて、来季にそれを補っていくことを検討していきたい。全面的に支援していくというか、戦う集団のフロントとして、一緒に戦っていこうと思います。