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TORABAN Tantou Kisha ColumnCOLUMN INDEX

Vol.2011-24 苦難を乗り越えて心強い男が帰ってきた!


狩野恵輔 選手

夏のロードから帰ってきて、聖地・甲子園でまず迎え撃つのは首位のスワローズだ。8月26日。首位追撃に心強い男が帰ってきた。狩野恵輔だ。2009年には正捕手として127試合でマスクをかぶり、投手陣をリードしてきた。しかし翌年、城島がFA加入。出場機会を求めて外野手に挑戦した。

自慢の打撃力で存在をアピールしてきたが、椎間板ヘルニアの発症でオフに手術。リハビリの日々を送ることを余儀なくされた。またこの頃、球団からは外野への完全コンバートを言い渡されたが、自身の希望を貫き、捕手との“二刀流”を直訴した。歩くこともままならないところから、本人の並々ならぬ努力によって、今年の春季キャンプではブルペンに入り、キャッチャーとして球を受けられるまでに回復した。

このまま順調にシーズンを迎えられる―そう思った矢先の3月。また再発した。もう一度手術すべきなのか。しても、二度と再発しないという保証はない。様々な方法を模索した。自らインターネットを駆使し、良いと思えば何でも試した。親知らずを抜いたりもした。けれど、やっと育成試合で実戦に復帰できたと思ったら、また6月に悪化した。まさに山あり谷ありだった。


大和 選手

再び実戦に出場できるようになったのは7月26日。その少し前、狩野はこう打ち明けた。「ヘルニアじゃないらしい。診てもらったら、ヘルニアが飛び出してるんじゃなくて、椎間板が痛んでるって。痛みさえとれたら大丈夫。周りの筋肉を鍛えて支えていくしかない」と。少し光が射した。同じく腰痛を抱え手術したスワローズの藤本とも連絡をとり、相談した。「もっさんも、ずっと違和感はあるって言ってた。バーンといかなければ大丈夫。自分で状態をいかにわかってるかが大事」。気持ちは確実に前向きになった。

ウエスタンで12試合に出場し、満を持しての1軍昇格だ。前日には鳴尾浜のブルペンでキャッチング練習も行ってきた。「いざという時の為の準備はしとこうと、ね。腰の状態もいいし」。練習前に明るく話した狩野だったが、どうやらこの時から既に緊張が高まり始めていたようだ。「7番・レフト」で先発出場すると、二回に一死二塁で打席に立った。しかし敢えなく3球三振。

しかし本領発揮の場面は次の打席に待っていた。先頭の久保が振り逃げで出塁すると、大和がレフト前で繋ぐ。二死から新井のレフト前、マートンのセンター前で同点に追いつき、尚も一、二塁。初球、2球目。とにかく振っていった。ボール球だったが振っていった。追い込まれた。けれどここから、狩野の持ち味が出始める。


狩野恵輔 選手

3球連続ファウルで粘った後の6球目。村中のフォークを弾き返し、2者を迎え入れた。勝ち越しの、そして決勝のタイムリーとなった。「1打席目はかなり緊張してたね。ヒット打つ1球前のフォークをファウルした時に、我に返った感じ。狩野らしいスイングになっていた。いやぁ、今日は練習から相当緊張してたからなぁ(笑)」。和田コーチが解説してくれた。

本人も素直に認める。「緊張して吐きそうなくらいだった」。けれど、「周りを見る余裕はなかったけど、一回にレフト前を処理して楽になって、甲子園を見渡したら、すごい応援に嬉しくなって感動した」と、再び聖地に立てた喜びに、緊張は徐々に解きほぐされていったようだ。四回にはレフトフライをキャッチ。これには久保が、マウンドで両手を頭上高く挙げて拍手を贈った。珍しい光景だ。「試合前、久保さんに言ってたんですよ。『緊張して足が動かないかもしれません』て(笑)。久保さんのあのリアクション、嬉しかったぁ」。

左脇腹を痛めた久保とは、リハビリをしながら様々な話をした間柄だった。久保も狩野の復活を、心の底から喜んでいた。「色んな方にサポートされて、恩返しをしたいという思いで試合に臨んだ。辛い時期に励ましてもらい、時には厳しく言ってもらい、グッとくるものがあった」。トレーナー陣には感謝してもし尽くせない。

気持ちが切れかかった時、トレーニングに身が入らない時、「シーズンは長いんや!」と強く叱咤激励してくれた、担当の山下トレーナー。「アイツが頑張ったんですよ。ボクはブレーキをかける役目だけ。早くバッティングしたいと言ってもストップさせたりね」と山下トレーナーは謙虚に話すが、この日を誰よりも待ち望んでいた。もう自らの手は離れたが、「トレーニングせぇよ!」と未だ目は光らせている。またそれが、狩野にとっては有り難いのだ。今後も「活躍」という恩返しを重ねていく。


ランディ・メッセンジャー 選手

快勝でスワローズを下し、一気にゲーム差を縮めたいところだったが、翌日は雨天中止。28日はメッセンジャーが先発マウンドに立った。前回のスワローズ戦では神宮でKOされ、雪辱に燃えている。更にもう一つ、メッセンジャーを奮い立たせる理由がある。

8月25日、待望の長男が誕生したのだ。子供が生まれた直後の登板。何としても白星をプレゼントしたい。その意気込みは、そのままピッチングに顕れていた。150キロを超えるストレートにカーブ、スプリット。どの球種でも空振り三振が奪えた。神宮の後、修正したフォームもバッチリだ。「投げ終えた後、体が一塁側へ倒れていたからね。しっかりホームプレートに向かってまっすぐに力を伝えるようにしたんだ」。

また、昨年から行った「意識改革」も、今年のメッセンジャーの好投を裏付けている。「昨年は自分の中で頑固な部分があったけど、それが取り払えたんだ。時間はかかったけどね」。日本で成功する為には、今までの自分のピッチングスタイルに固執しないこと。様々なピッチャーの試合を見て、「彼らができるなら、自分にもできる筈だ」と自らに言い聞かせ、それを元にオフもトレーニングを重ねた。


ランディ・メッセンジャー 選手

柔軟な姿勢で益々進化するメッセンジャー。奪った三振も自己最多の10コだ。「スワローズには前回やられていたから、緊張というか色んなエネルギーが巡っていたね」と満足そうだ。生まれたばかりの坊やの『ランディ・メッセンジャー・セカンド』の名前には、「メッセンジャーという名前を自分の代で終わらせたくない」という思いもある。「野球をやらせたいかって?彼がやることなら何でも。全力でサポートしたいね」。目尻を下げるメッセンジャー。

ただ一つだけ願いがある。坊やが野球をわかる年齢になるまで、活躍し続けたいということ。パパが素晴らしい野球選手、素晴らしいピッチャーであることを、その目で見てもらいたい。もちろん、その活躍の場がタイガースであること―それが、我々の願いだ。

スワローズに2連勝し、2位に浮上。ゲーム差は3・5まで縮まった。しかし依然、2位から4位までがゲーム差なしのダンゴ状態。一刻も早く抜け出したい。30日からはドラゴンズを叩きに、ナゴヤドームへ乗り込む。