- 2月 第1回
- 大抜卓人さん (全4回)
芸能界をはじめ各界で活躍するタイガースファンに、愛するタイガースへの熱い想いを語っていただく各界からエール「ガオー!応援隊!!」。
今月は奈良県出身、FM802の朝の顔として活躍中のDJ、TACTY(タクティ)こと大抜卓人(おおぬきたくと)さんにご登場いただきました。今回はその第1回目をお届けします。
Q:大抜さんとタイガースと出会いを教えてください
大抜: 僕、実は子供の頃、おじいちゃんの影響でジャイアンツファンだったんですよ。もう亡くなっちゃいましたけど、おじいちゃんの家にはよく行きました。うちのおじいちゃんは、巨人戦があればテレビで観戦して、延長戦になったらラジオに変えるっていうのがお決まりのパターン。熱狂的なファンで、野球中継がある時は全然孫の話も聞いてくれないくらいでした。
そんな僕がタイガースと出会ったのは、僕が小学6年生の時の1985年、タイガースが吉田(義男)監督のもとでリーグ優勝を果たした時です。その頃、僕には伊藤君という熱狂的なタイガースファンの親友がいたんですね。その伊藤くんが、今日勝てばタイガースがリーグ優勝を果たすという日に教壇に立って、六甲おろしを高らかに歌ったんですよ。僕の出身は奈良県なんですけど、周りはタイガースファンばっかりでした。だから伊藤くんに合わせて、教室でみんなが一緒に熱唱しはじめたんです。僕はその時ジャイアンツファンだったから全然心が動かず、仲間に入ることはできませんでした。
当時はちょうど王監督の1年目か2年目の年で、原(辰徳)さんや、中畑(清)さん、クロマティさんたちが花形だった時代です。そんな背景もあり、1985年っていうのは、僕の心にいまだに刻まれているくらい教室に居場所がなかったです。周りのみんながタイガースファンだったから、僕だけがジャイアンツを応援しているっていうのは、やっぱり誰にも言えませんでしたね。
Q:甲子園球場に実際に行かれたのはいつですか?
大抜: 初めて甲子園球場に行ったのは、小学5年生の時でおじいちゃんに連れて行ってもらいました。当時はジャイアンツファンでしたので、もちろんジャイアンツ側の応援席での観戦です。その日はジャイアンツがすごく良い試合をして、タイガースが負けたんですけど、ファンからのすごいヤジに衝撃を受けたのを覚えています。
今みたいに甲子園球場がきれいに整備される前の時代で、迫力のあるおっちゃんやお兄ちゃんたちに囲まれて、ジャイアンツファンの僕たちは本当に阪神電車の駅まで無事にたどり着けるのか、めちゃめちゃ怖かったのを覚えています(笑)。
Q:もともとジャイアンツファンだった大抜さんが、タイガースファンになられたのはいつ頃からでしょうか?
大抜:今では、もうすっかりタイガースファンですけど、赤星さんと知り合いになったり、金本(知憲)さんと昔お仕事をご一緒させていただいたり、タイガースの選手たちと知り合うこともありましたので、そういったご縁がきっかけだと思います。タイガースならではの熱い応援も、甲子園の雰囲気も大好きです。
ちなみに今、僕が甲子園球場に行く時はお決まりのコースがあって、阪神百貨店でお惣菜とビールを買って、お友達と電車に乗ってそのまま行くんですよ。それで、球場に着いたらアナウンサーの人たちに挨拶して、赤星(憲広)さんたちにも挨拶して、ええところで(笑)お酒を飲みながら試合を観戦して帰る!これが今、一番好きで楽しみな時間です。
子供の頃は、おじいさんの影響でジャイアンツファン。現在はお仕事などを通したさまざまなご縁からタイガースファンになった大抜さん。次週はそんな大抜さんがとても印象に残った選手のお話をご紹介します。
第2回の更新は2月13日(月)。お楽しみに!