- 7月 第1回
- 矢井田瞳さん(全5回)
芸能界をはじめ各界のタイガースファンにご登場いただき、タイガースへの熱い想いを語っていただく「みんなでガオー!応援隊」。今月は大阪府豊中市ご出身“ヤイコ”の愛称で親しまれるミュージシャン、矢井田瞳さんにご登場いただきました。今日はその第1回目をお届けします。
Q:矢井田さんのタイガースとの出会いを教えてください
矢井田:両親が阪神ファンで全試合テレビ中継を見る!ほどの家庭ではなかったんですけど、物心ついた時からタイガースは身近な存在でした。小学生の頃の私は、たまに父親にスナックに連れて行ってもらってカラオケを歌うのがすごく楽しみだったんですけど、そのスナックの常連さんにももちろん阪神ファンのおじちゃんがいるわけですよ。で、幼い私に向かって「阪神はなー、毎年最初のほうは調子ええねんけどなー、これで今年こそ行くか行くかって思ったら最後でゴロンとなったりするんやー。でもそれが来年も楽しみにさせてくれんねんでー」ってすごく熱く語ってくれたのを子供ながらに覚えています。
Q:子供の頃のタイガースについて印象に残っていることは何かありますか?
矢井田:一番覚えているのは、1985年に阪神が優勝を決めた試合です。あの瞬間は家族でテレビ中継にかぶりつきながら見ていました。家族が一つになる瞬間って日常生活でも意外と少ないじゃないですか。家族みんなで同じ方向に向かって喜ぶっていうのが、とにかくすごくうれしかった。あとは、優勝した瞬間の歓声が大きすぎて、中継の音声が一瞬無音のようになったのを覚えています。ウワァー!!って沸きすぎてもう、その感じは昨日のことのように鮮明に記憶していますね。
Q:それはリーグ優勝を決めた時ですよね?
矢井田:そうです。甲子園での優勝決定を逃して、神宮での対ヤクルト戦でした。同点の10回裏に中西(清起)さんがクローザーとして登板して胴上げ投手になった試合です。リーグ優勝まで順調に勝ったわけじゃなくて、途中で一回首位から落ちて阪神ファンがまたかー、みたいなムードになったけど、それを乗り越えて優勝を掴んだ瞬間でしたから、なおさらその喜びを覚えているんですよ。あとは、優勝が決まった時に母親が「阪神百貨店のセールや!」って大喜びして、後日私も連れて行かれて、やたら買い物をしたのも覚えています(笑)。
矢井田さんのように、1985年の優勝した歓喜の瞬間を今でも鮮明に覚えていらっしゃる方々も多いんじゃないでしょうか?次週は「みんなで六甲おろし2017」ご出演の話題などについてお話いただきます。
第2回の更新は7月10日(月)。お楽しみに!