- 久保田智之選手が現役引退を発表
- 2014年10月03日 更新
3日(金)、久保田智之選手が今季限りでの引退を発表し、同日、球団事務所にて会見を行いました。
久保田智之選手コメント(会見より)
私、久保田智之は今季限りで現役を引退することをここにご報告いたします。
―引退を決めた理由は?
ここ数年成績も良くなく一軍を行ったり来たりで、今年春先に手術をして1年間やってきたのですが、肘の具合がそこまで良くならないというのもありますし、このまま現役を続けるのであれば、この状況では厳しいかなと思ったので決断しました。
―決断はいつごろされましたか?
9月の末です。
―決断から今日まで、どんな思いで過ごされましたか?
野球に関しては、未練や悔いが残っていて、本当はまだまだ現役でやりたいという気持ちはあったのですが、怪我と付き合いながらやれるような世界ではないので、そんなことを考えながら過ごしていました。
―この12年振り返って。
入団してすぐに優勝したりといい思い出もたくさんあり、ここ数年では苦しい思いもたくさんあり、そういう面ではいろいろな経験が出来て幸せだったと思っています。
―12年間で一番いい経験は?
やっぱり2005年の優勝の時に、抑えで最後に投げさせてもらったということが、一番嬉しかったし思い出に残っています。
―日本一の舞台には立つことは出来ませんでしたが、日本一に対する悔しい気持ちはありますか?
もう一度優勝して、日本シリーズに出てその場で投げたいという気持ちはずっと強かったです。2003年の時も肘を痛めて投げられなかったですし、2005年は散々な結果でしたので、もう一度あの場で投げて日本一になりたという気持ちはありました。
―「JFK」に対する想いは?
ジェフ、球児と一緒に「JFK」と呼ばれるようになって、全国の人に知ってもらえて僕自身幸せでした。ジェフ、球児が居なかったら僕もその中の一人として呼ばれていなかったと思いますし、自分が出るまでチームが勝っていてくれたからこそ仕事が出来たというのもあるので、感謝していますし、誇りに思っています。
―記録に残る活躍もありましたが、中継ぎとして戦ってきた野球人生はどんな人生でしたか?
使ってくれた首脳陣に感謝していますし、いい場面で使ってもらったので野球としての「勝負」というのが出来たと思います。
JFKと呼ばれるようになった頃から、中継ぎの大切さを少しでもわかってもらえるようになったんじゃないかという思いもありますし、ここ数年一軍では出来ていませんが、外から見ていても中継ぎって重要なポジションだなと僕自身思っています。
―怪我と戦っている間、どういう思いで過ごしていましたか?
気持ちの面では前向きに、怪我を克服して、早く一軍に上がってチームの為に投げたいなという気持ちでずっとやっていました。ただ、今年に限っては、手術明けの投げ始めの時はこのまま調子を上げて、後半、チームの為に出来ればいいなと思っていましたが、そこまで状態も上がらず、このまま上がらないのかなって気持ちの面でも前向きになれない自分もいたので、そういう面では色々悩みました。
―そういう中で支えてくれたものは?
これまでやってきた仲間もそうですし、家族、そしてタイガースファンの方々の熱い声援もわかっていましたので、それに応えようという気持ちでここまで来れたんじゃないかと思います。
―今後、決めていることはありますか?
まだ9月末に決断したばかりなので、これからゆっくりと考えさえていただきます。
―ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
12年間、熱い声援、応援、有難うございました。
これからの人生どうなるか分からないですが、僕自身、阪神タイガースを応援する一員として、皆さんと応援していきたいと思います。
本当に12年間有難うございました。