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戦前・戦後篇 1947年~1951年
綱島理友のユニフォーム物語 ユニフォームのイラストをクリックすると詳細が見れます。
別当薫
別当 薫
藤村富美男
藤村富美男

 1947年、大阪タイガースは縦縞のない白いユニフォームを採用した。戦時中の一時期をのぞいて、創設以来一貫して使用してきた伝統の縦縞を採用しなかったのは、やはり当時の物資不足という時代状況が影響していたのだろう。

 とにかく物資がない。手に入るものがあったら、それでなんとかやりくりをする。これは庶民の生活も、球団の運営も同じであった。

 だが、物資不足の中で作られたにもかかわらず、この白いユニフォームには、なぜか2種類のデザインが存在する。

 ふたつのデザインの目立つ違いは首回りから前立てにかけてのラインの本数である。ひとつは1本ラインで、もうひとつは2本ライン。最初に登場したのは2本ラインで、1本ラインは少しあとから登場した。

 このユニフォームが生まれた47年という年で、語っておかなければならないのは、やはりタイガース戦後初の優勝だろう。

 エース兼任の若林忠志監督が26勝をあげ、他の投手も軒並み活躍。打撃陣も猛打をふるい、この打線はダイナマイト打線と命名される。そしてなんと2位の中日ドラゴンズに12.5ゲームもの大差をつけて、ぶっちぎりの優勝を果たしたのである。

 まさに猛虎の復活であった。

 そういう意味では、この白いユニフォームは、チームにとってゲンのいいユニフォームだったのだろう。2本ラインが使用されたのは49年あたりまでだが、一本ラインは当時のユニフォームとしてはかなりの長寿で、51年までの5年間にわたって使われつづけた。

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