エンタメ

コラム・ブログ

TOP > エンタメ > コラム・ブログ > 若トラまとめ

若トラまとめ 原口選手

名門・帝京高から入団も、怪我との闘いの日々

1992年3月3日、ひな祭りの日に生まれた原口選手はうお座のAB型。埼玉県寄居町の出身。帝京高校時代は夏の甲子園に出場してベスト8。高校日本代表にも選ばれ、2009年のドラフト6位で阪神タイガースに入団しました。

同期入団は、二神一人(法大)、秋山拓巳(西条高)、俊介(近畿大)ら。背番号は「52」

しかし、入団3年目の2012年シーズンは、椎間板ヘルニアを発症して長期離脱。一軍経験のないまま、翌年から育成契約となり再起を図りますが、その後も度重なるケガに悩まされ、先の見えないリハビリ、トレーニングの日々が続きました。

苦節7年目に、「転機」が訪れる

それでも決してあきらめず、地道に黙々と努力を続けていた原口選手に転機が訪れたのは、戦力外通告も覚悟していたという昨年のオフ。猛虎再建を託された金本新監督が就任早々視察した秋季練習で、原口選手のスイングと練習に取り組む姿勢に目を付けたのです。

そのまま秋季キャンプに召集された原口選手は、紅白戦でホームランを記録するなど、アピールに成功。とは言っても、それまでファームの試合でさえも出場機会が限られていた原口選手が、すぐに支配下登録されるほど、プロの世界は生やさしくはありません。

金本タイガース「超変革」の話題で注目された、春のキャンプは、ファームの安芸で過ごし、2016年シーズンの開幕も、背番号「124」のまま、迎えるとことに。

与えられた出場機会でコツコツと結果を残していた原口選手に、支配下再登録と同時に一軍昇格というこの上ない吉報が告げられたのは、突然のことでした。

緊急昇格に背番号が間に合わず…

4月26日、今季甲子園で最初となる巨人戦が行われたこの日の夜、球団関係者から電話で昇格を告げられた原口選手は翌日、伝統の一戦の5回裏、代打でデビュー。

自身、プロで3つ目となる背番号は「94」に決まっていましたが、あまりに急な話だったため、球団も新しいユニホームを用意できず、原口選手は「YAMADA 82」というネームの入った、山田勝彦ファームバッテリーコーチのユニホームを借りてのデビューとなりました。

8回に回ってきた第二打席で、田口投手からプロ初ヒットを記録すると、翌日の同カードでは、9回に再び代打で出場し、澤村投手から同点に追いつく貴重な犠牲フライを記録して初打点。ここから原口選手はサクセスストーリーの第一歩を踏み出します。

[2016/4/28] 9回裏、原口選手のプロ初打点となる犠牲フライで同点に追い付く!

昇格3日目、4月29日のDeNA戦(甲子園)で初スタメンマスクを被った原口選手は、先発の岩貞投手から髙橋投手、ドリス投手、抑えのマテオ投手と続くリレーを最後までリードし、キャッチャーとして初めて勝利の瞬間を味わうと、5月はほとんどのゲームでスタメンマスクを任されるように。

いきなりの月間MVP獲得!

その5月の活躍、特にバットでの貢献は目を見張るものがありました。
月間成績の内訳は、79打数30安打5本塁打。打率はリーグトップの.380!タイガースのキャッチャーとしては、1975年4月の田淵幸一選手以来41年ぶり、そして育成出身の野手としては球界初となる月間MVPを受賞します。

[2016/5/19] 9回裏、原口選手のセンターオーバータイムリーで劇的サヨナラ!

そして、今年のオールスターゲームに監督推薦によって初出場を果たしました。第2戦の初打席でレフトオーバーの2ベースを放ち、マスクを被っては帝京高校の後輩・山崎康(DeNA)をリードするなど、しっかりと見せ場を作りました。

さすがに疲れもあってか、次第にその勢いは衰え始め、7月は代打での出場が増えますが、それでもチームトップとなる月間17打点。修正能力も高く、ウル虎ユニホームで戦った月末の甲子園6連戦では二日連続でお立ち台に上がるなど、無類の勝負強さを見せていました。

[2016/7/27] 4回裏、原口選手がレフトスタンドへ第9号先制スリーラン!!

「打てる捕手」への期待

打席でのどっしりとした構えとボールの見極め方。ポイントまで最短でバットを運ぶ無駄のないスイング。バッターボックスでの原口選手の所作にはスラッガーの風格を感じさせる安定感があり、開幕時には一軍の試合に出場することさえできない育成選手だったとは、とても思えません。

シーズン終盤は、ルーキーの坂本誠志郎捕手との併用が続きましたが、そのバッティングへの首脳陣の信頼は高く、福留選手の休養日には何度も四番を任されます。8月30日の中日戦(ナゴヤD)では、10号ホームランを記録。タイガースの捕手登録選手では、2010年の城島選手以来となる二桁本塁打到達となりました。

プロ入り後、6年間にわたる苦闘の日々を乗り越えて、掴んだシンデレラストーリー。それは、何度も絶望しそうになった怪我に負けず、普段から黙々とトレーニングに励んできた地道な努力がなせる結果に他なりません。7年目にして立つことができた一軍のスタートライン。原口選手の努力は今も、そしてこれからも続きます。

バックナンバー