- 渡辺亮選手が現役引退を発表
- 2015年10月01日 更新
1日(木)、渡辺亮選手が今季限りでの引退を発表し、同日、球団事務所にて会見を行いました。
渡辺亮選手会見コメント
本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます。
本日をもちまして、私渡辺亮は引退することを決めました。
―引退を決意した理由は?
2013年のキャンプで肩を壊して、そこから3年間やらせていただいたのですが、自分の思ったようなボールが投げられなくなって。
そこでもう辞めようかなという気持ちになりました。
―それはいつぐらいでしたか?
今年に入って、オフにいろいろトレーニングをしてみたのですが、あまり変わらなかったので、そろそろかなという感じでしたね。
―どなたかに相談されましたか?
まず家族に相談しました。
―何とおっしゃっていましたか?
自分が精一杯やったのならそれでいいんじゃないかと言われました。
―精一杯やりきったという感じですか?
はい、自分の中ではやりきりましたね。
―プロ入り後、一番印象に残る場面は?
2年目に1軍に上がって初勝利した時、試合後に久保田さんからボールをもらって、矢野さんから「おめでとう」とポンと頭を叩かれて。その時広島市民球場だったのでバスに乗り込む前にブルペンで球児さんとジェフが待っていてくれていて、2人から「おめでとう」と言われて。
それが自分の中では一番印象に残っています。
―登板が全てリリーフでしたが、まっさらなマウンドに立ちたいという気持ちはありましたか?
あまりなかったですね。
―それはなぜですか?
中継ぎという仕事を自分に与えられていたので、そこで全うしようと思いました。
―一番支えになったことは?
自分が1軍に上がった頃は、まだJFKというすごい3人がいて、自分の中でも追い抜くことは無理だと思っていたので、その人達に少しでもついて行こうと、その3人を毎日見てやることが自分の中でモチベーションになっていました。
―JFKはどのような存在でしたか?
何度かJFKの前を投げたのですが、自分が抑えればその試合に勝つ確率が上がると思っていたので、その時は必死に投げていました。
―2008年は久保田選手に次ぐチーム2位の登板数でしたが、あのシーズンはいかがでしたか?
あの時はたぶん開幕2戦目くらいでジェフが居なくなり、そこから球児さんと自分と久保田さん3人がすごく投げた記憶があります。
ジェフが居ない分は自分やみんなでカバーできればいいかなと思ってずっと投げていました。
―毎日どんな思いで準備をしていたのですか?
ブルペンに入って、試合を観て、自分がその試合に投げている感覚で観ているのですが、ブルペンの電話が鳴った時はすごく緊張するというか。
―大歓声の中、マウンドに向かう時の気持ちは?
自分の中ではどの試合も不安でいっぱいで、すごく緊張していたので、抑えてベンチに帰る時の歓声を聞いて、少しホッとしている自分がいたと思います。
―あれだけファンを湧かせる仕事はなかなかないと思いますが?
これからは多分ないと思うので、その時のことを思い出しながら次の人生に繋げていけたらいいかなと思います。
―プロの選手では大きな体ではない中でここまでやって来られましたが、プロ野球とはどんな世界でしたか?
入団して周りの人を見ると体の大きさも全然違いましたし、自分がここでやっていけるかなという不安はありました。
―どうやって克服されましたか?
自分にそんなに特徴もなかったので、そこまで自分の中であまり考えたことが無くて、自分にできることを精一杯やろうという気持ちで毎日やっていました。
―タイガースの後輩に向けてメッセージ
もっともっと若い選手が出てきて欲しいなと思います。
―それはなぜですか?
1軍の試合をみても30歳を越えてる方が結構おられますし、野手にしても上本から下のレギュラーがいない。
ピッチャーにしても年齢がちょっと高いので、もっともっと若い子には出てきて欲しいと思います。
―ファンの方へメッセージ
10年間やってきましたが、実際1軍でやったのは6年なんですけど、その中であたたかいご声援をいただいて本当に有難かったと思います。
まだ1軍は試合をしていてCSもあると思うので、これからもあたたかいご声援を選手に送っていただければと思います。