チームのためになるならば<後編>
タイガースのブルペンに、藤川あり。いまさら言うまでもないが、チーム一番の強みと言ってよい屈強なブルペン陣の中でも、背番号22の存在感は一際目立つものである。
ともにブルペンで出番を待つ多くの若手投手が、「スイッチの入れ方がすごいなと思います」と、尊敬する存在として彼の名前を挙げる。自身の登板前にはエンジンを入れ替え、声を掛けにくくなるぐらいにグッと試合へと入っていく。そんな彼の背中を見て、若い投手たちが育っていく。好成績を残しているブルペンでは、彼を中心に好循環が起きている。
「(後輩たちが)良い結果が出るように、少しでも背中を押してマウンドに送ってあげられたらいいなとは思っています。雰囲気づくりだったり、情報だったりを伝えるということは、意識してやっていますね」
年齢を重ねて、よりチームのこと、後輩たちのことをも考えるようになった。今年で40歳。チームのためになるならば、自分の持っている全てを注ぐつもりである。
いまから15年前の2005年、藤川は“あの”『JFK』の一角としてブレイクを果たした。03年、05年と3年間で二度の優勝を飾ったチームの中で、当時25歳の藤川は自らの居場所を掴むべく、必死で過ごしていた。
「05年は、ブルペンのほとんどが同級生だったんです。だから、誰かの背中を追いかけてプレーするという感覚は僕にはありませんでした」
チームのためになるならばショートver<後編>終了。
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