感謝の気持ち胸に、来日5年目の“復活”<後編>
来日5年目となる右腕は、ここまで山あり谷ありの野球人生を送ってきた。野球を始めたのは4〜5歳ごろ。そこからプロになることをずっと夢見てきたが、“プロ”になったのはソフトバンクでプレーする前年の2015年からである。それ以前はというと、地元ベネズエラで職につきながら、野球を続けていた。最速161キロという、球界でも数えるほどしか投げられないスピードボールを投げる才能を持ちながら、いまのようなスポットライトが当たるポジションとは、無縁の立場だったのだ。年齢的には3歳上で、現在、東京ヤクルトでプレーする兄のアルバート・スアレスが、2006年にプロ選手となったことを考えると、いかに下積みが長かったかわかるだろう。
「いつか高いレベルでプレーしたい」という思いはずっとありました。日本のリーグのことも知っていたんです。同じベネズエラ出身の、ラミレス選手(現・DeNA監督)やカブレラ選手(元・西武ほか)、ペタジーニ選手(元ヤクルトほか)といったプレイヤーたちが、すごくいい数字を日本で残していたのを知っていたので。自分もいつかという思いを持っていました」
思いが通じてか、ホークスのスカウトの目に留まり、2016年に来日。1年目から素晴らしい成績を残したのは前半でも触れたとおりだが、翌2017年には右ひじを痛め、トミージョン手術を受けることになる。せっかくつかんだ夢の世界から再び、離れなくてはならない可能性に直面した。
ただ、「悔しい時期だったけれど、あせらずにじっくり、いいリハビリ期間を過ごすことができた」と、懸命にリハビリを続け、いまや完全復活。いまは「違和感なく投げられている」と笑みを浮かべる。10月11日のDeNA戦(甲子園)では、2016年以来となる最速161キロも記録。10月に入り今季初黒星を喫したものの、本拠地・甲子園ではいまだ防御率1点台と、ファンの声援を力にかえて快投を続けている。
ちなみに実は…
感謝の気持ち胸に、来日5年目の“復活”ショートver<後編> 終了。
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