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「若林忠志賞」の創設について
2011年07月21日 更新

阪神タイガースでは、継続的に社会貢献活動やファンサービス活動に取り組み、野球人として優れた見識を持つ選手を表彰する制度を創設します。球団創成期からエースとして活躍し、グラウンド外においても、社会貢献活動並びにファンサービス活動という分野においてプロ野球選手としてのパイオニアであった球団OB故若林忠志氏の功績を称え、この賞を「若林忠志賞」と命名し、その意思を継承していきたいと考えました。また、この賞の創設は、現在、当球団がファンサービスや社会貢献活動の充実を図る「Dream Linkプロジェクト」をさらに醸成させるものです。

表彰対象

毎シーズン当球団所属選手から、該当者1名を表彰します。
※監督・コーチ・フロント職員等を対象として「若林忠志賞・特別賞」を授与する場合もあります。

選考基準

(1)継続して社会貢献活動に取り組んでいること。
(2)ファンサービス活動に積極的であること。
(3)選手として活躍するだけでなく、野球人として優れた見識を持ち、人望もあること。

決定方法

球団内で選考委員会を構成し選考します。なお、候補者の選出にあたり、球団OBや関係者の意見を聞いて選考に反映させる場合があります。

表彰式等

(1)シーズン終了後の球団公式行事において表彰します。受賞者は公表します。
(2)球団から記念品(盾等)と表彰金を授与します。

鳥谷選手のコメント~「若林忠志賞」創設について~

「こういった賞があるからといって社会貢献活動をするというものではないですが、今回の創設や表彰式などを社会貢献について考える一つの良きタイミングとして、若手ベテラン関係なく、一人でも多くの選手が関心を抱き、一社会人として、社会の役に立っていければ良いのではないかと思います。」


若林忠志(わかばやし ただし・1908年3月1日~1965年3月5日)

アメリカ合衆国ハワイ州生まれ。タイガースには1936年~1944年と1946年~1949年まで在籍し、「七色の魔球」を投げる1リーグ時代の技巧派の代表投手とされた。当球団在籍中に233勝をあげ、現在も球団の投手最多勝記録となっている。第四代、第六代監督を歴任。後に2リーグ分裂に伴いパ・リーグの毎日オリオンズへ移籍した。選手としての輝かしい成績に加えて、社会貢献活動やファン開拓のためのファンサービスに熱心に取り組んだ日本プロ野球界においての先駆者であった。現在の球団公式ファンクラブKIDSの前身である「タイガース子供の会」を自費で立ち上げ、雑誌「ボールフレンド」を創刊し、孤児・遺児などの慰問も熱心に行った。慰問交流した以降、奈良少年刑務所では、受刑者のソフトボール大会において「若林賞」という優勝盾が授与されている。野球人としての活躍とともに、阪神タイガースの礎を築きあげ、日本プロ野球の地位向上に尽力した偉大なる球団OBである。

選手歴
阪神タイガース1936(昭和11)年~1944(昭和19)年
1946(昭和21)年~1949(昭和24)年
毎日オリオンズ1950(昭和25)年~1953(昭和28)年
通算成績

528登板、237勝、144敗、1000奪三振、防御率1.99

タイトル・表彰
最高殊勲選手2回 (1944年、1947年)
最優秀防御率投手2回 (1939年、1944年)
最優秀勝率投手1回 (1944年)
シーズン20勝以上6回 (1939年、1940年、1942~1944年、1947年)
野球殿堂入り1964年