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城島健司選手引退会見
2012年09月28日 更新

28日(金)、城島健司選手が西宮市内のホテルにて会見行い、今季限りでの引退を発表いたしました。

なお、虎テレ(スマホ向け有料動画配信サービス)では、会見の模様をノーカットで配信中です。
※虎テレメニュー内「P・Dのグチ」よりご覧ください。

城島健司選手コメント(会見より)

城島:私、城島健司は今シーズンでプロ野球生活を引退することを決めました。

-引退を決めた今の心境を聞かせてください。

城島:入団会見はみんな出来ますが、引退会見が出来る選手は数が少ないのでちょっとは何か野球界で残してきたものがあるのかなと今感じます。

-引退を決断されたのはいつごろですか。

城島:今年の5月に腰の手術をしまして、その段階で今シーズン、キャッチャーをするという目途が立たなくなってきたのが一つの決断の理由ではあります。そして、やはりオールスター明けにキャッチャーが出来そうにないという判断をした時に、球団に伝えました。その時も球団からは、クライマックス(出場の可能性)が残っているまでは、何とか1軍の戦力となるよう今はリハビリをしっかりやってくれということだったので、今の発表に至りました。

-城島選手にとって捕手でのプレーというのが一番信念を持っておられることですか?

城島:やっぱり自分はキャッチャーですし、キャッチャーだったからこそ今まで18年間ユニフォームを着れたと思いますし、アメリカにも挑戦出来ましたし、そしてタイガース来られたのもキャッチャーだったからだと思います。キャッチャーが出来なくなった時は、ユニフォームを脱ぐときだと若い時から思ってましたし、ずっとそう言ってきたので。膝の故障の影響で、今シーズンはキャンプからキャッチャーを一時離れて、ファーストというポジションで野球をしてきましたが、自分のプランの中には、オールスター明けから少しづつマスクを被って、そしてシーズン終盤には1試合マスクを被れるようにという願望もありずっとリハビリに取り組んできましたが、正直、9月になってもキャッチャーとしての目途が立たないという状況でキャッチャーが出来ないのであれば、前から言っていたようにユニフォームを脱ぐという決断をいたしました。来年もファーストをしながらという決断はタイガースに対しても、ファンに対しても、そして自分に対しても嘘はつきたくなかったのでユニフォームを脱ぎます。

-4年契約であと1年残っていますが、やはりファンに嘘をつきたくないというのが一番の理由でしょうか。

城島:アメリカでゲームに出られなくて、野球がしたくてタイガースに契約してもらい、プラス4年という大きな契約をしてもらって、自分の中では、2年間まともにプレ―が出来なかったときは辞める時だとそういう信念がありました。そして僕を信頼して4年契約を提示してくれて、それを裏切ってしまったので、ファンに対しても球団に対しても自分が出来る精一杯のけじめです。

-引退を決意されて、まず伝えられたのはどなたですか。

城島:家族に伝えました。嫁と子供たちに今シーズンでユニフォームを脱ぐよと伝えました。

-その時、ご家族からは何と声を掛けられましたか。

城島:子供たちはまだ小さいので、よくわかってなかったですが、毎日親父が家にいるということは素直に喜んでました。
嫁は御苦労さんと声を掛けてくれました。

-最大の恩師と慕っておられるソフトバンクホークスの王会長には連絡されましたか。

城島:はい、しました。現役は1回しか出来ないんだから君のキャッチャーへのこだわりはわかるけども、ほかのポジションでまだ頑張ってみないかと言われました。王さんの下でキャッチャーをはじめさせてもらって、自分はキャッチャーなので、キャッチャーが出来なくなった時はユニフォームを脱ぎますとそう言いました。

-日米18年間で一番思い出に残るプレー、シーンはありますか。

城島:たくさんありますが、自分がマスクを被って同じチームのピッチャーが獲ってくれたタイトル、そういうのは全部自分の宝物でありますし、受けてきたピッチャーの勝ちがつかなかったり、競った場面でないときでも、チームのため、明日の試合のため、一生懸命投げてくれたピッチャー達にキャッチャーとして感謝をしたいです。

-ここ2年のリハビリ生活で、試合出られない辛さは一番きつかったですか。

城島:そうですね。怪我であったり苦しい場面があったとき、王会長がよく「試練は乗り越えられる者にしかやってこないんだよ。」と言われて、その試練を1つ1つ乗り越える度にプレーヤーとして成長しましたし、大きくなってきたと思うのですが、今回の怪我は乗り越えられない大きな壁だったと思いますし、今が、キャッチャーとしては限界だと思います。何より、この2年間リハビリをずっとやってくれたスタッフの皆さん、トレーナーの皆さん、こんな僕でも鳴尾浜に来て一生懸命応援してくれるファンの皆さん、もう一度甲子園で活躍する姿を見せることが出来なくて、それが一番悔いが残りますし、悔しいです。

-36歳での現役引退ですが、それでも悔いが胸に残りますか。

城島:自分はキャッチャーなので、出た結果に悔いは残さないようにその時の決断をしようと準備はしていましたので、あの時ああすればよかった、こうすればよかったという悔いはありません。もちろん反省はありますが、今自分が岐路に立った時に間違った決断はしていないと言えると思いますし、もう30年くらい野球中心の生活をしてきて、これだけ一生懸命に1つのものに取り組んできて、今でも野球を好きだというのが僕の誇りです。ですから、来年、キャッチャーが出来ないとわかっていて野球をしてしまうと、大好きな野球が嫌いになってしまいそうなので、引退しても、子供と一緒にプロ野球を観たいですし、テレビで野球がついていたら観たいですし、そこから目を離すような今後の人生を送りたくないので、キャッチャーのまま引退します。

-今、城島選手にとって、キャッチャーというのは誇りに思えるものですか。

城島:はい。野球を始めた時、プロに入った時は、キャッチャーが嫌で早くほかのポジションをしたい、キャッチャーを辞めたい、と思っていた時期もありましたが、この2年間キャッチャーがやりたいと思って野球を辞めるというのが、不思議な感じもします。両親が小さいときに野球というスポーツに出会わせてくれて、キャッチャーというポジションに出会ったことが、僕の人生で一番幸せなことだったと思います。

-第2の人生を歩まれますが、現時点で決まっている予定、これをやってみたいということはありますか。

城島:明後日、子供の運動会に行きます。それ以外は何も決まってないです。

-海にも出られるんですか。

城島:もちろんです!

-最後に全国のプロ野球ファンへ一言お願いします。

城島:18年間、応援していただいて有難うございます。本当に幸せな18年間でした。ただ、この2年間甲子園で、5万人の大歓声の前で、もっともっと他の球場を熱くするようなプレーを見せれなかったのが非常に悔しいです。それ以外は、本当にいい野球人生で、素晴らしい人に出会ったその縁に感謝したいです。色んな手術も故障もしましたが、野球が大好きなままユニフォームを脱ぎ、歳を取ったらその傷一つ一つが勲章になるでしょうし、お酒を飲みながら何回も息子や孫たちに自慢話が出来るような、そんな素晴らしい野球人生でした。

本当に有難うございました。

新井貴浩選手コメント

-城島選手引退発表につきまして感想をお願いいたします。

新井:きょう聞いたばっかりなので、正直ビックリしましたね。

-まだご本人とは話をされていないということですね。

新井:直接会っていないですね。メール等はしていますが。

-城島選手の一番印象に残っていることはありますか?

新井:ジョーがタイガースに移籍して、開幕の京セラDのカードで活躍してヒーローインタビューを受けているところが思い出に残っていますね。

-きょうの会見では捕手へのこだわりということを語っていましたが、そういったところを感じたことはありますか?

新井:怪我してからもずっと生涯捕手だからと言っていましたし、凄くプライドと言うか捕手としてのこだわりがありました。

-金本選手に続いてまた一人チームメイトがユニフォームを脱ぐことになりましたが、そのあたりの心境を教えて頂けますか?

新井:ただ、ただ寂しいばかりですね。

-城島選手は(新井選手と)同級生になりますが、そういったところではいかがでしょうか。

新井:チームに同級生は沢山いますし、同級生同志でキャンプ中にノックを受けたりとかして、凄く皆仲が良いので、それだけに寂しさも強いですね。

-確か駒澤大のセレクションを一緒に受けられたと思いますが、その時の個人的な思いでというのはありますか。

新井:初めてジョーを見たのは高校3年生の時で、練習試合をしたのですが、こんな高校生初めて見たと言う様な印象を受けまして、その後たまたま駒澤大のセレクションを受けた時に顔をあわせて、一緒の宿舎だったと言うのもありますし、前に練習試合をしたこともありましたので、良く話をしました。もうその頃からズバ抜けた存在感と言うか、あのままでしたね。

-長い付き合いでした城島選手に今、声を掛けるとすれば、何と言いますか?

新井:ここ数年間は色んな場所を怪我してリハビリをしていましたが、その頑張っている姿を見ていましたので「お疲れさまでした」と、一言言いたいですね。

藤川球児投手コメント

チームのことを常に考えておられる方でしたし、引退は非常に残念です。ただ、キャッチャーでプレーできないので辞めるというのは、契約が1年残っているかどうかとかではなく、トップアスリートとしての考え方なのだと思います。そこまでの覚悟をもって取り組まれている城島さんを改めて男だなと感じました。自分もアスリートとして色々と相談をさせていただきましたし、自然と気持ちが通じ合う方でした。

坂井オーナーコメント

怪我や故障を繰り返しての近年は、彼本来のプレーを見せることができなかった。回復を目指して必死のリハビリに取り組んできたが、不本意だったと思う。しかしながら、ファンは、城島選手の迫力のプレーの数々、日米球界で残した足跡をいつまでも忘れることはない。これからも野球界のために力を発揮してもらいたい。