- 関本賢太郎選手が現役引退を発表
- 2015年09月30日 更新
30日(水)、関本賢太郎選手が今季限りでの引退を発表し、同日、球団事務所にて会見を行いました。
関本賢太郎選手会見コメント
本日はお忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます。
私、関本賢太郎は今シーズン限りで引退することをご報告させていただきます。
―引退を決意した理由は?
いろいろあるのですが、今シーズン2回戦列を離れたということですね。
それが一番の原因だと思います。
―まだ現役で出来るのではというファンの声もありますがそのあたりは?
2回目のケガをしてファームにいる間に、もしかしたらもう潮時かなという考えが芽生えて…
そこから練習して戻ってきて打てるようになったのですが、こんなに打てるようになるとは思っていなかったです。
―打てるようになって「引退」という気持ちを引っ込めるということはなかったのですか?
いいところで辞めるというのも選択肢かなという決意ですね。
―なぜいいところで辞めようと思ったのですか?
小さいころ野球が好きで始めたのですが、最後打てなくなって野球を嫌いになって辞めるのは嫌だった。
―引退を決めるにあたって、どなたかに相談されましたか?
家族には相談しましたが、自分で決めました。
―ご家族は何とおっしゃっていますか?
奥さんにはずっと相談をしていたのですが、子供にはこの間の巨人戦の日に言いました。
―その時のお子様はどのような感じでしたか?
固まっていました。
―どのような形で報告をされたのですか?
僕が直接言ったのではなくて、奥さんが言って、固まっていたと言っていました。
―プロ野球、阪神タイガースに対する心残りは?
心残りはいっぱいあります。
日本一になれていないのがすごく心残りです。一番大きいです。
―プロ野球最後のシーズンがまだ続いていて、まだそのチャンスは残されていますが?
そうですね、本当の意味でラストチャンスなので、その夢を追いかけたいと思います。
―タイガース一筋の19年を振り返っていかがですか?
正直あっという間でした。
高校から入った時は正直自分にも自信がありましたし、すぐ通用すると勘違いしていたので、
入った時には3年も出来ないのではという衝撃を受けたのがすごく印象に残っていて。
それから肩の手術もして、数えたら何回ケガをしたのかわからないくらいの選手だったのですが、
19年もさせてくれた球団にはすごく感謝しています。
―その中で支えになった言葉や、どなたかの教えがありましたか?
偉大な先輩がいっぱいいますので、その先輩たちに事あるごとにアドバイスをいただいて、
それがすごく心に残っています。
―創意工夫されてここまでやってこられましたがそのあたりは?
入団する時は2,000本打ちたいとか、ホームラン王になりたいとか、そういう夢を抱いて入ったのですが、
入ってみて通用しないと方向転換せざるを得なくなった。それに気づけたので19年間出来たのかなと思います。
―ここ数年は「代打の神様」として打席に立たれていましたが、その心境は?
すんなりゲームが終わってくれたらいいのになというのが本心です。
自分で試合を決めて勝つというのが代打の醍醐味ですが、恐怖心もありますし、僕のところに出番が回って来ずに勝ったらいいのになというのが本心です。
―それをどう克服していたのですか?
やはり「行くぞ」と言われると瞬間的にスイッチも入りますし、ネクストの段階で声援も聞こえなくなるくらい集中しますので、それが力になっているのではと思います。
―打った後の大歓声はいかがですか?
そういう場面でヒットを打つと、1塁ベースを踏んだ後くらいにようやく歓声が聞こえるのですが、毎回鳥肌が立つくらい本当に嬉しかったです。
―声援をくれたファンに向けて
ここ数年引退を考えるようになってから、ファンの声援が無くなったら辞めようと思っていたのですが、
最後まで大きい声援をいただいて本当に感謝しています。
―タイガース一筋でやってきたからこそ言える後輩へのメッセージは?
ここ何年か優勝争いをしながら優勝出来ないという流れができていますので、優勝争いをした時は必ず優勝出来るような強いチームになって欲しいと思っています。
―野球は今でも好きですか?
大好きです。
―好きなままユニフォームを脱がれるご自身に対してはいかがですか?
自分のポテンシャルからしたらよくやったんじゃないかなと、自分を褒めてあげたいと思っています。
―19年を振り返って印象に残っているシーンは?
初打席の奈良の先輩である三浦さんから三振したことでしょうか。
―その三振がそこからの野球人生にどのような影響を与えましたか?
下積みも長かったですし、ある程度自信を持って1軍に上がって、一線級のピッチャーの球を見て、またそこで力の差を感じたのがすごく印象に残っています。