ユニフォーム物語

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戦前・戦後篇 1940年~1943年
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(左)若林忠志(右)松木謙治郎
(左)若林忠志
(右)松木謙治郎

 軍靴の足音が響き渡っていた1940(昭和15)年、前年に日本職業野球連盟から日本野球連盟に改称した連盟は、夏季リーグ戦の一部を当時の満州国(現在の中国東北部)で行うため全チームを派遣した。7月26日、神戸港から全球団が吉林丸という同じ船で出港し、満州各地を転戦した。各地で在留邦人の大歓迎を受け、この満州リーグは興行的には大成功だったと言われている。

 そしてこの夏季リーグ終了後の秋季リーグ開幕前に、理事会は自主的に「連盟の日本化」を決定する。そしてまずはチーム名や野球用語の一部の日本語化が行われた。

 改定された野球用語は、たとえば「プレーボール」が「仕合始メ」、タイムが「停止」、「ゲームセット」が「仕合終リ」、「インフィールドフライアウト」が「内野飛球アウト」という具合に改められた(この時はアウト、セーフはそのまま)。そして日本語も「試合」は「仕合」、「選手」が「戦士」、「監督」は「教士」と、いかにも戦時中らしい変更が加えられた。

 そしてさらに「外国人選手禁止」条項が作られ、そのため東京巨人軍のビクトル・スタルヒン投手は須田博と名のるコトになる。

 この「連盟の日本化」については、生き延びるためにはやむえなかったという考え方もあるし、逆に時代への単なる迎合という観かたもある。いったいどちらが正しいのか、その判断は軽々にはくだせない。

 そして大阪タイガースは連盟の指示にもとづいて、タイガースを廃止して「阪神」と名のるコトになった。そしてユニフォームのマークにも漢字の「阪神」が使われる。とにかくアルファベットは廃止という決まりだったので、帽子マークのOの文字も取り払われた。

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